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福岡高等裁判所 平成7年(う)432号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、主任弁護人戸田滿弘及び弁護人土田耕司連名提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官中野佳博提出の答弁書に、各記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意中、事実誤認の主張について

一  所論は、要するに、原判決は、被告人において、原判示の日時に「業務として汽船甲野丸(総トン数六トン)を操船し、長崎県北松浦郡大島村水ノ浦鼻沖合海域を、同村神浦港方面から同村的山漁港方面に向け、約二四ノットで航行するにあたり、同海域で操業または航行中の漁船があることが予測されたところ、当時夜間で、目視による前方注視が困難であったので、減速するなどして速力を調節し、レーダーを使用するなどして進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、付近海域の航海の経験が豊富であることに気を許し、レーダーを使用せず、目視のみで漫然前記速度で進行した過失により、A(当時五八年)操船にかかる無灯火の漁船乙山丸(総トン数〇・六八トン)に気付かず、同船右舷中央外板部に自船船首部を衝突、覆没させ、かつ右Aを海中に転落させて死亡させた」旨認定判示しているが、そもそも被告人にとって、本件海域を無灯火で航行していた乙山丸の存在を予見する義務はないというべきであるのみならず、実際にも被告人がそれを予見することは不可能であった上、被告人が甲野丸に搭載されていたレーダーを作動させて航行していたとしても乙山丸との衝突を回避することはできなかったのである、また、Aが乙山丸を操船中に甲野丸と衝突したのであれば同人の身体にもっと多くの外傷がなければならないのにほとんど外傷がなく、更に同人の死因が溺死であることからしても、乙山丸が甲野丸と衝突したとき同人は既に海中に転落していて同船上に居なかったとみるのが相当であって、同人の溺死と本件衝突事故との間に因果関係はないというべきであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

二  そこで、先ず、原判示の日時場所において、乙山丸のような無灯火の小型漁船の存在を、被告人において予見することが可能であったか否か、またその予見義務の存否について検討すると、関係各証拠によれば、本件衝突事故発生時刻は平成五年一二月七日午後六時二二分ころで月明かりすらない闇夜であり、事故発生場所は長崎県的山大島の的山浦入口の男島の西端から西北西に約四四三メートル、的山大島の高埼から約二〇〇メートルの地点(別紙図面ヘ点)であって、この付近の海域は海を隔てた対岸の平戸市や田平町から的山大島的山漁港に至る航路筋にもあたること、被告人は大島村的山川内に生まれ中学を卒業後一時期大阪に出たこともあったが概ね地元の大島村で漁業に従事し、平成元年一〇月ころ甲野丸の船主Bから依頼されて平戸市と大島村間のいわゆる海上タクシーの甲野丸の船長として稼働するようになり、平成四年一〇月ころからは更に釣り客の瀬渡しの仕事も手伝うようになって、本件事故現場付近の海況やそこでの漁船の航行、操業の実態について誰よりも熟知し得る立場にあったこと、平成六年当時の大島村漁業協同組合に加盟していた漁民等(正組合員一二七名、準組合員二四八名)が所有する船舶合計二四五隻のうち一トン未満の船舶が一〇七隻あり、これらの小型漁船には満足な灯火設備を備えていないものが少なくない上、九月から一二月ころにかけての夜間、小型漁船での水イカ曳き漁が的山大島の南側沿岸域等で盛んに行われていたが、水イカ曳き漁は一トン未満の小型漁船で水深一五メートル位までの海岸近くでする手軽な漁であるところから、漁業専業者のほか日頃漁業とは関係のない一般の人も出漁しており、しかも水イカは月明かりさえ嫌う習性があるところから、灯火をつけずに漁がなされることもあって、現に平成三年か四年に馬ノ頭鼻付近の海上で水イカ曳き漁船とBが操船していた甲野丸とが衝突しそうになり、Bが大島村漁業協同組合に対し水イカ曳き漁船に灯火をつけるよう指導して欲しい旨申入れをしたのに対し、逆に水イカ曳き漁をしている側からは甲野丸のような遊漁船の方が迂回して欲しいとの要望がなされたり、また、本件当時甲野丸と同様に海上タクシーをしていた汽船丙川の船長Cは、本件事故前に平戸島と的山大島の間にある度島の付近で無灯火の水イカ曳き漁船と衝突したような事実もあったこと、更に、平戸島と的山大島間の海上には一般的に小型漁船等が多く、時折航海灯を点灯することを忘れている船や、薄い灯火で船の存在がはっきりしない船、中には自船の灯火が目に入ると操縦し難いことなどからことさら無灯火で航行する小型漁船すらあるのが実情であったこと、しかして被告人も現に本件事故発生直前に、水ノ浦鼻沖から男島の南側海上を通過するとき右舷方向で男島の突端付近海上に水イカ曳き漁船一隻を見ており、かつ被告人自身本件事故当時操船上の便宜から甲野丸のマスト灯をつけていなかった上、それ以前にも的山大島周辺や平戸島近くで無灯火の船を平成五年になって何隻か見たり、男島近くでも無灯火の船を平成五年の内に五、六隻は見たことがあることなどに照らすと、被告人においても前記のような実情を十分認識していたことが窺われること、加えて、的山漁港から水イカ曳きに出漁する漁船はおよそ二〇隻から三〇隻位あるところ、本件衝突事故現場付近海域は通常水イカ曳き漁が行われる海域ではないが、的山漁港から男島の南側や東側更にその先方の水イカ曳き漁場に向かう航路筋にあたり、乙山丸は当時同漁港から右方面の水イカ曳きの漁場に向けて航行していたと見られることなどの各事実が認められ、これらの事実を総合勘案するならば、大島村的山で長く漁業に従事し、また、甲野丸の船長として、本件海域を数え切れない程多数回航走したことがある被告人としては、的山漁港から水イカ曳き漁に出ている小型漁船の実態についても十分知悉しており、的山漁港から水イカ曳き漁の主な漁場の一つである男島の南側や東側の海上方面に向かう小型漁船が無灯火でその航路筋にあたる本件衝突事故現場付近海上を航行していることもあり得るということも十分予見することができたものと認められる。

なお、所論は、被告人において、およそ無灯火船の存在まで予見する義務がなかったとも主張するが、前記のとおり、本件事故現場付近海域においては一般的に無灯火船の存在が予測され、とりわけ水イカ曳き漁の行われる時期には水イカ曳き漁の漁場である海岸近くの浅場に無灯火の小型船が出没することも十分あり得るという実情にかんがみるならば、そのような海域を二四ノットという高速度で甲野丸を航走させていた者について、およそ無灯火船の存在を予見する義務がなかったなどとは到底いい得ないことは明らかである。

三  次に、被告人がレーダーを使用し進路の安全を確認しながら甲野丸を航行させていれば、乙山丸との衝突が避けられたか否かについて検討すると、関係各証拠、とりわけCの捜査段階及び原・当審各公判供述によれば、Cは丙川を操船し、大島瀬戸を隔てた対岸の田平港から的山漁港に向け約二七ノットの速度で航行していて、男島西方あたりからは本件衝突現場付近の海上を甲野丸の左舷前方を先行する形で進行したこと、Cは丙川搭載のレーダーにより後に乙山丸とわかった船影と甲野丸の船影を捕捉しこの二隻に注意しながら進行していて、高埼鼻略南西三〇〇メートル付近に達したとき、船首右舷約三〇度約八〇メートルの海上にうっすらと浮かぶ乙山丸の船体を目視し、同船との間隔は夜間であったためはっきりとは判らないが、およそ丙川の右舷約三〇メートルないし八〇メートルくらいと思われる位置に乙山丸を見て通り過ぎたが、同船には灯火がついていた記憶はなく、同船は丙川の進路と平行する進路を丙川とは逆の方向に「とにかく遅い」速度で航行中であったことが認められ、一方、被告人は平戸港から的山大島の神浦港まで乗客四人を運んだ後同港から的山大島の南岸沿いに的山漁港に帰る途中であったが、神浦港まではレーダーを作動させていたものの、同港を出た後は通い馴れた航路なので月明かりのない暗闇の海上であったがレーダーのスイッチを切って航走し、神浦港の防波堤の先の水ノ浦鼻を約八〇メートル離して航過し、約二四ノットの速度で男島の南まで来ると的山漁港の防波堤灯台の灯りが見えるとともに、男島の突端付近の海上に小さな灯りを見たが、二~三秒毎に一秒位で点滅していたので水イカ曳き漁船がよく使用している簡易標識灯と思ったこと、なお、甲野丸が水ノ浦鼻を通過したころ左舷側に平戸方面から的山方面へ向かう高速船の緑色の舷灯を見、近付くにつれ同船が丙川であることがわかったこと、一方、平成五年一二月一二日午後六時二〇分から同五〇分の間に乙山丸とほぼ同じ型の丁原丸を想定船として使用して行われた実況見分において、〇・五海里(約九二六メートル)離れた位置から甲野丸に搭載されたレーダーで極めて良好に丁原丸の船影を確認できたことの各事実が認められる。これらの事実を総合勘案すれば、被告人がレーダーを作動させて進行していれば、まずレーダーで乙山丸の船影を捉えることで前方海上に他船が存在することを十分認識できたはずであり、その後は目視で注意すれば、丙川の船長Cが乙山丸を視認できたのと同様に同船を発見できたものと思われ、その各段階で適宜、回頭、減速するなどして乙山丸との衝突を回避することは十分可能であったと認められる。ちなみに、甲野丸の船主のBの供述するところによれば、甲野丸が二四ノットで航走していても、距離にして約二〇メートル、時間にして約三秒で停止することができるというのであるから、最悪の場合でも緊急停止による衝突回避が可能であったと認められる。Bや被告人は、前記の実況見分のときのように始めから想定船の存在が前提とされている場合と異なり、普通の状態でレーダーによって乙山丸のような小型漁船の船影を捉えることは困難であるなどと供述するが、右各供述は前記認定事実に照らしたやすく措信しがたい。なお平成五年一二月一三日付け実況見分調書(原審検甲一〇号)には同月一二日に行われた前記実況見分において、無灯火の想定船は一〇メートル離れたところでも甲野丸の船橋内から確認できず外に出るとぼんやり視認できたとあるが、これはそれまで点灯していた想定船の灯火を急に消した場合の視認状況であって本件のように始めから無灯火であった場合と異なる上、その日の視程距離その他の気象条件も関係しているものと思料され、現に被告人が本件事故の直前に出会った点滅式灯火の水イカ曳き漁船の滅灯時の船体について被告人は薄黒い影として六〇メートル程の距離に視認できたと述べていることに照らしてみても、急停止による衝突回避が不可能なほど乙山丸に接近しなければ同船を目視で発見できなかったとは考え難い。

四  更に、Aの死亡と本件衝突との間の因果関係について検討すると、関係各証拠によれば、Aの身体には左側頭部挫裂創、右胸部挫傷、右大腿部内側擦過傷の各損傷が見られること並びに同人の直接の死因は溺死であることが認められ、一方、甲野丸は長さ五メートルの乙山丸の船体の中央付近(浮上し引き揚げられた同船の船尾部の長さは最長二・四メートル)にほぼ直角に衝突し、乙山丸は機関室後部で前後二つに分断され覆没したことが明らかであるところ、衝突直前に丙川を操船していたCが乙山丸を視認したとき同船は丙川と逆方向に遅い速度で航行していたことが認められるところからすると、丙川と行き違った後乙山丸は、丙川の右斜め後方を丙川と同方向、すなわち乙山丸から見てその右斜め前方を乙山丸の方向に向けて進行して来た甲野丸との衝突を避けようとして左方に回頭したものの、及ばずこれと衝突したものと認められるのであって、当時直進していた乙山丸がひとりでに左に回頭するような自然条件は存在しなかったとみられるところからすれば、乙山丸の左回頭はAの人為的な操船の結果によるものと考えるほかなく、したがって右衝突時にAが乙山丸の船上に居たことは明らかであるというべきである。しかして左回頭したときのAの位置状況を同人の子どもが説明するAの普段の操船姿勢から推測すると、Aは乙山丸の甲板上の船倉蓋に腰をおろし機関室内に両足を入れた姿勢で、背後にある舵柄先端部分に右手をかけこれを右舷側に押して支えていたものと推認され、このことは乙山丸の船尾端から〇・七メートルの位置に〇・一四メートルの幅の赤色塗料がついに擦過痕、同端から一・三メートルの位置に〇・一四メートルの幅の同様の擦過痕が印象されており、乙山丸の右舷甲板から右舷外板上縁の木板上部までの高さが二七センチメートルあり、かつ、Aの左側頭部に面積の狭い表面硬固な鈍体、もしくは鈍体の稜の部が衝突(打撲)したと見られる挫裂創が走り、これと同方向の後部にあたる左耳介の上部がくの字型に裂け、また、類円形の形状をなす鈍体の作用(打撲、衝突)によって生じたと見られる挫傷が右胸部に認められることなどからして、衝突時Aは舵柄を右側に押した状態のまま甲板右舷寄りに上体をよじって伏せ、その際の衝突による衝撃も加わってAの右胸部に乙山丸の前記舵柄先端部があたって前記の右胸部挫傷ができ、同人が甲野丸のプロペラ軸により右舷側が押し下げられ左舷側が浮上した乙山丸上に頭部左側を上にして右舷側斜め後方に伏していた上に甲野丸の船底左舷側角の稜(ビルジキール先端か水押さえ)が同人の左側頭部前方斜め上から後方斜め下に向けて接触したため左側頭部と左耳介部に一線に挫裂創が生じたと推認されることによっても裏付けられるところである。

所論は、乙山丸と甲野丸が衝突する前にAが海中に転落したとして、まず甲野丸の左前方を先行していた丙川の航走波によって乙山丸が揺れたことによる転落の可能性を指摘しているが、当時海上は穏やかであった上、Cの当審証言によれば、丙川のような高速船が全速で航行するときには船が浮き上がった状態になり、海面との接触面が少なくなることからかえって航走波は小さくなって、丙川の航走波のために船倉蓋に腰を掛け両足を機関室内に入れていたAが乙山丸から振り落とされるようなことはあり得ないことが認められ、また所論は、右胸部挫傷については肋骨骨折とともに人工呼吸を施した際に出来た可能性を指摘しているが、右胸部挫傷の形状は前記のとおりであって人工呼吸によって生じるようなものでなく、更に、弁護人の主張する状況ではAの左側頭部挫裂創と左耳介部裂創についてその発生機序を何ら合理的に説明できないことになる。

なお、Aが着用していたズボンと股引の左脚の大腿部を中心に甲野丸の船底に塗られていた赤色塗料(船底の防汚効果を発揮させるため乾燥しないうちに下架するため、塗膜面は常にヌルヌルとしていて、接触すれば容易に衣服等に付着する状況である。)が付着していたことについて、所論は、Aの身体を被告人が甲野丸の船縁から引き上げた際に付着したものと思われる旨指摘しているが、そうであるとすると左脚だけに塗料がついて右脚には同じように塗料が付着していないこととか左足の下の部分にそれが付着していないことの説明が困難であり、むしろAが衝突による身体への直撃を避けるため前記のように上体を右側によじるようにして船上に伏せたとすると、同人の左足が幾分機関室から浮き上がり左腰から左大腿部付近が上向きになり、更に甲野丸が同人の上を越えていったときに乙山丸の右舷側が甲野丸のプロペラシャフトで押され、左舷側が浮上したこともあって、甲野丸の船底がAの左の腰や大腿部の外側をかすりそのため甲野丸の船底の塗料がAのズボン等に付着したと考えるのがより合理的である。

検察官は、Aの右大腿部の擦過傷の成因は、機関室覆い蓋が甲野丸との衝突により押し下げられ同人の右大腿部に接触したものとみられると指摘するが、この擦過傷には皮下出血等を伴った形跡が見られず、原審鑑定人中園一郎もこの傷について、生前よりは死戦期もしくは死後成傷された可能性が大であると述べているところからみても、右大腿部擦過傷はAが死亡した後に例えば同人を海中から船上に引き上げる際等にできた可能性も否定できないと考えられる。

以上の次第であるから、Aの受傷の原因について原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項において、Aが転倒して受傷したと認定判示しているところは、その具体的成傷原因について漠然としているうらみがあるものの、乙山丸と甲野丸の衝突時に同人は乙山丸船上にあったこと、並びに両船の衝突により左側頭部挫裂創及び右胸部挫傷を負ったのち溺死するに至ったという因果関係を認めたことにおいて事実誤認はなかったといわなければならない。

なお、原判決は、乙山丸が左転したのは同船と対向して進行してきた丙川を避けるためであったと認定しているが、丙川を操船していたCの供述によれば、丙川と乙山丸は三〇メートルないし八〇メートルの間隔を保って反対方向に行き違い、そのときの乙山丸の進行速度はとにかく遅かったというのであって、乙山丸が丙川を避けるために左転したような状況は窺えないから、原判決の右認定は誤りであるというべきであるが、本件の衝突事故は被告人が乙山丸の動静を見誤ったことによって生じたものでなく、そもそも乙山丸の存在自体に気付かなかったことに因り生じたものであるところからすれば、衝突直前の乙山丸の動静に関するこの誤りが直ちに判決に影響を及ぼすものとはいえない。

第二  控訴趣意中、理由不備、理由のくいちがい、訴訟手続の法令違反、法令適用の誤りの主張について

一  所論は、乙山丸と甲野丸が衝突したとき、乙山丸が左転したのは、行会い関係にあるときは互いに右転すべきであるとする海上衝突予防法一四条の規定に定める航法違反であるというが、当審で行った検証の結果によれば、甲野丸は、的山大島の神浦港を出て水ノ浦鼻を迂回し、約二四ノットに速力を増し、曲り鼻灯台から真方位九五・一度約二九三七メートルの地点(別紙図面のロ点)において曲り鼻灯台方向に直進を開始し、同灯台から真方位九五・三度約一四九五メートルの地点(ニ点)で右方向にすこしずつ変針を開始し、同灯台から真方位九三・三度約一三七六メートルの地点(ホ点)で右変針を終了し、その後は真方位三三〇度の方向に直進して的山漁港に向かい、ホ点からおよそ三三七メートル進行した地点(ヘ点)で乙山丸と衝突したこと、その間甲野丸と乙山丸が男島に遮られることなく互いに視認可能になる位置は甲野丸が曲り鼻灯台から真方位九五・七度約二〇一一メートルの地点(ハ点)の辺りまで進行したときでその地点は甲野丸の前記変針開始地点より五〇〇メートル強水ノ浦鼻寄りであることが認められ、これをヘ点近傍の乙山丸上のAから見れば、まずハ点の辺りを曲り鼻方向に航走している甲野丸を発見することになり、その進行方向からして甲野丸は乙山丸の遥か南方の海上を西進するように見えたところ甲野丸はその状態でおよそ五〇〇メートル程進行するや突然進路を乙山丸の方に変え約二四ノットの速さで同船に接近してきたことになり、当審の検証結果によれば、甲野丸の両舷灯が見え同船がヘ点に向けて進行してくることがヘ点に位置する者から見て判然としてから僅か三〇秒足らず後に甲野丸はヘ点に到達する、すなわち乙山丸と衝突してしまうことが認められるのであって、かかる状況にかんがみるならば、甲野丸が進路を乙山丸の方に変えたことをAが認識し得たときには、もはや乙山丸にとって余裕をもってこれに対処することができる十分な時間も距離もなかったことが明らかであるから、このような場合には行会い関係は成立しないと解するのが相当であり、所論のいうように乙山丸と甲野丸とは行会い船航法にのっとり互いに右転すべきであったということにはならないというべきである。むしろ、乙山丸を操船していたAとすれば、曲り鼻方向に航走していくと見えた甲野丸が急に進路を変え三三七メートル余りしか離れていない右前方からぐんぐんと乙山丸に向かって近付いて来るのを見て、それとの衝突を避けるためとっさに左転したのはごく自然な措置であったと考えられる。

二  また、所論は、原判決が、<1>「操業又は航行中の漁船があることが予測された」としているだけで、その漁船が有灯火船なのか無灯火船なのか「罪となるべき事実」において特定していないのは刑訴法三七八条四号に該当する違法である、<2>「当時、夜間で目視による前方注視が困難であったので、減速するなどして速力を調整し、レーダーを使用するなどして進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があった」と判示しているだけで、「減速するなどして、速力を調整し」というだけではどの程度まで減速すればよいというのか不明であり、注意義務の内容を特定をしないまま審理、判決をしたのは刑訴法二五六条三項に違反しており、理由中で述べている「歩く速度に近い低速航行をしなければならない」というのであれば約二ノットということになろうが、これは非常識であり、なぜそうしなければならないのか理由を附していない違法がある、<3>原判決が「操業又は航行中の漁船があることが予測された」としているところはそのいずれであるかによって、被告人の防御が著しく異なり、そのまま認定した原判決には理由齟齬があるなどと主張する。しかしながら、<1>については、原判決は、乙山丸が無灯火船であったことをその罪となるべき事実中に明瞭に摘示し、これを前提に被告人の過失を論じていることが判決文自体から明らかであるから、所論は失当である。<2>については、原判決は「罪となるべき事実」において、被告人の注意義務及び過失について、「減速するなどして速度を調節し、レーダーを使用するなどして進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、レーダーを使用せず、目視のみで漫然約二四ノットの速度で進行した過失」と認定し、かつ、「弁護人の主張に対する判断」の項において、「甲野丸は二四ノットで航行していても、そのレーダーを使用していれば、乙山丸との衝突は避けられたことになる。しかし、被告人のレーダー使用経験からして、レーダーの操作能力は、必ずしも十分とはいえないし、事故は突然の出来事であり、計算のとおりに停止措置をとることは大変困難と考えられるので、この場合でも、自己の操作能力も考えたうえ、安全な速力に調節すべきであると考えられる。」と説示しているのであって、原判決を全体としてみれば、原判決のいう「減速するなどして速度を調節し」の意味は自ずから明らかであるといわなければならない。しかして、原判決の右説示が肯認できることは、前記のごとく甲野丸が二四ノットで航行していても搭載されていたレーダーを作動させておれば、男島まで行かないうち(ハ点参照)に乙山丸の船影を捉え得たと考えられ、その後丙川と乙山丸の動静に気を配り、操船者の技倆に応じて速度を調節し進路の安全を確認しながら進行すれば乙山丸との衝突を十分回避できたというべきことから明らかである。なお、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項中で甲野丸の速度につき「歩く速度に近い低速航行をしなければならない」旨説示している部分があることは所論指摘のとおりであるが、これは、弁護人が甲野丸にはレーダーの設置義務がないことを理由に被告人には甲野丸に設置されていたレーダーを活用する義務はないと主張したのに対し、そうであるとすれば甲野丸は歩く速度に近い低速航行をしなければならないことにもなると説いて、右所論が的外れであることを示しているに過ぎないことは判決文を熟読すれば容易に理解しうるところであるから、これを論難する所論は到底採用する限りでない。また<3>については、乙山丸が航行中であったことは前掲Cの司法警察員海上保安官に対する供述調書からも認められるところであり、本件における訴因が「操業又は航行中の漁船があることが予想された」とされたことにより被告人側の防御にさほどの影響が出た形跡はみられないし、右の訴因のまま原判決が認定したことが所論のいうような理由齟齬にあたるとも考えられない。

3 更に、所論は、本件事故はAが海技免許を有しないのに乙山丸を乗り出し、夜間であるのに所定の灯火を点灯せず、行会い船航法に違反した操船をするなどしたために生じたものであり、被告人にはこのような無灯火の無謀な航法違反船のあることまで想定して航行しなければならない義務はないから、信頼の原則に基づき被告人の過失は否定されるべきであるとも主張する。

たしかに、Aが海技免許を有しないこと、無灯火で乙山丸を操船していたことは事実であるが、乙山丸には航法違反は認められず、既に見てきたような本件の具体的状況下においては、無灯火の小型漁船である乙山丸といえども被告人においてその存在を予見することが可能でありかつ予見すべきであったというべきであるのに、被告人にレーダーを使用しての見張り義務違反が認められることなどに徴すると、本件に関し信頼の原則を適用しなかった原判決は正当である。

その他、所論がるる主張しているところを逐一検討してみても、原判決に理由不備、理由のくいちがい、その他判決に影響を及ぼすことが明らかであるような訴訟手続の法令違反、事実誤認、法令適用の誤りを見出すことはできず、論旨はいずれも理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については同法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 神作良二 裁判官 谷 敏行 裁判官 林 秀文)

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